聞いてよママから卒業を

復職して2日目が終わった。今日もまた見ている程度のことしか出来なかったが、うっすらと流れを理解できたところもあった。
帰りの更衣室では病棟の看護助手と会い、色々と話を聞いた。異動で看護師が入ったこと、その看護師が認知症のある患者に暴力を振るわれ、今も脚を引きずり気味に歩いているということ。
聞いたとき、正直自分は居なくて良かったと思った。
同時に、病気が暴力や暴言をさせているから、と患者に理解を寄せなければならない看護の心がまったく分からないので早く看護業界を去りたいという思いと、どうして看護師はそれを納得したり割り切ったりして働けるのか不思議に思った。深く考えず、経済の安定を理由に資格を取った私は、お金を理由に割り切ることの難しさをずっと感じていた。

そんな事を、母に少しだけ話した。ラインや電話帳に友達の連絡先が入っていても、通話できるような相手はほとんどいないからだ。
母は私の話に、「せっかく病棟を離れたのに、病棟のことを考えてたら意味がない」「そんな事聞いたところで今は混乱するんだからやめなさい」「今は外来の仕事を考えるのが先でしょ?それ現実逃避じゃない?」等々、豪速球で正論だけを返してきた。もしかしたら正論じゃない内容もあるかもしれないが、吟味できる状態でもなかったし、する気力ももうなかった。
失敗したと思った。普通に話を聞いてほしかっただけなのに、ただただストレスが倍増する羽目になった。

これまでも同じような事が何度もあった。いい年こいて聞いてよママをしては、正論を返され、釈然としない気持ちで傷付く。そうしてしてイライラしては、壊れない程度に床や壁を叩いたり、シャワー音に紛れて奇声を上げた。私は、親からの理解という名の幻想を求める3歳児なのだ。
世の中には共感しながら子供をうまく導くタイプもいるのであろうが、私の母は、少なくとも物心付いたときから正論しか言わないタイプのだったと記憶している。もしもこんな女が友人にいたら、絶対に距離を置きたいと思う。
だけどそれは、親だからこそ、家族だからこその心配の正論である事も、この年なので何となくは理解してはいる。
ただ、親に仕事の話をする事がストレスコーピングとしてどうなのか考えると、「失敗」であると判断出来る。ストレスは倍増した。私の手は痛くなって、胸の中がもやもやし、こうしてお気持ちを綴らなければ収まらぬという衝動が生まれただけだ。
これまでも繰り返してしまった行動だったが、改めてこのように書いた事で、親をコーピングの手段として頼るのは正しくなかった、むしろ、ストレス増幅器だと理解する必要がある、と気が付いた。健康的に生きるには、もっと自立したコーピング手段の獲得が必要な気がする。それは自分の中にストレスを我慢して押し込めるといった類でなくて、消化を上手くさせてあげる思考や手段を手に入れることだと思う。
これは新しい行動のチャンスかもしれない。前向きな考えは苦手だけど、ひとつひとつ気付いて行くことが変化への小さな一歩なんじゃないかなと思う。