どうやらカエルじゃなくウサギだったらしい

就業時間を決めるために月に一度産業医と面談をしている。
何度目かの産業医面談の際、色々と先生に話した結果「失礼ですけどね、ADHDASDのケがあるんとちゃう?」とフランクに指摘された。
「はい、そうだと思ってます」と私はあっさり答えた。
精神科病院という性質からか、産業医もまた精神科の先生ということもあり、この辺の見極めは鋭いなと思った。(かかりつけ医の立場の事は触れないでおく)
 産業医はそれから、「Twitterやってます?ちいかわ(ナガノ氏の漫画)知っとる?ウサギわかる?皆と関係なくヤハー!って、動き回ったりとか、関係ないことしてるの。あれとかまんまADHDだから。よー描けてるわー」とにこにこ笑いながら早口で説明してくれた。心の中で、ウサギのようにフウンと聞きながら、この人をちいかわ先生と呼ぶようになった。
両親にはその日のうちに話をした。どちらも、それほど大きな反応は見られなかった。父に関しては、まず発達障害なるものが何か分からない様子であった。
 
私は看護師になる前の職業からずっと、発達の類は何かしらあるだろうとは思っていた。最初の歯科受付では、お金の受け渡しでミスをしていてレジ締めで計算が合わないとか、診察券や保険証を返し忘れるとか、予約の割り振りや予約外急患の割り振りをミスるとか、そんな事がしょっちゅうあった。何度指摘されて頑張っても、直らなかった。
日常生活でも、財布や携帯、鍵など、重要なものを簡単に無くしてしまうことがよくあった。大抵はカバンの奥底や、自分の記憶してない場所に置かれてる事が多かったが、電車内で落とした定期が終着駅から郵送されてきたり、電話ボックスに置き忘れた財布が、中味が空っぽになって警察に発見されるなど、ひどいエピソードもある。
看護師になってからも、日々の受持ち(4~7人)への看護+プライマリーへの看護というマルチタスクはもちろん、看護、ルーチン業務、係の仕事、業績評価のための活動、学習課題の提出という意味でのマルチタスクも苦手だった。仕事は時間内に終わらず無賃残業した。課題提出はプライベートの時間を削るという嫌悪感と、何を書いたらよいか分からないという困惑とで先延ばしにし続け、ギリギリに提出していた。
3年目になり、リーダー業務という、その日の業務時間中でのメンバーの采配や医師と指示のやり取りをしつつ、受け持ち患者の看護をするという役割もつけられるようになった。毎回先生へ伝達漏れがないか、指示受け漏れがないか緊張していた。カルテ(当院は未だに紙カルテだ…)に挟まっていた処方せんに気付かず、薬剤科に提出しそびれるというインシデントも連続で起こした。リーダー業務の日は緊張で憂鬱だったが、先輩からは「やってれば慣れる」と言われ続けた。
リーダーには更に、総合リーダーというものがあった。特別に注意の必要な患者の状態や連絡事項を次の勤務帯メンバーに申し送りをしたり、夜勤時には日報を書くという追加の役割もあった。これがつくと身体も頭も強ばって緊張でおかしくなりそうだった。深夜勤中、何もない中ではあったにも関わらずパニックを起こしそうになっている、と夜勤相手の先輩に相談したこともあった。
 
振り返ると、歯科受付のときも多少精神の変調があったように思う。健康だったら、洗剤を飲んでみたりコードで首をつってみたりなんぞしてないだろう。色々と自身で調べ、発達障害かもしれない、という結論を母に話すと「そんなわけないし、そうだとしてもただの言い訳でしょ」と一蹴された。それに、自分にとっても、心療内科のハードルは高く感じていた。だって、苦しくても生きてはいけるから。それ以来、自分に発達障害のある可能性についてはなるべく蓋をしていた。
 
ただこうして、精神を名実共に病んだことが一つの転機になった。心療内科にすでに通っている、専門家の第三者から指摘されたという理由が揃った。長年の疑問を晴らすなら今しかないと思った。 
かかりつけ医に相談すると、常駐ではないものの心理士がいるため、心理検査が受けられるとのことだった。
 
心理検査を始める前に、初回の面談を行った。そこでは、私が心理検査を受ける目的、幼少期からこれまでの生活での困り事等の聞きとりを受けた。 私は自分の傾向を知ってこれからの生活をどうしていくかを考えるのが目的で、該当したとしても診断はつけないでいいと話した。発達障害者だという診断が付いたとき、社会的な不利益が生じるのではないかというのが一番不安だった。その辺りは、心理士も理解を示してくれた。また、診断を付けるということが就労の助け等に必要であれば診断を付けてもらえばいいという助言も受けた。
困り事のメインは、先延ばし癖、時間の見積もりが出来無い、なくしものを良くする、コミュニケーショへの不得意さ辺りを伝えていった。初回でそこまで聞き取りされるとは思わなかったので丸腰で向かったものの、常々感じてきた生き苦しさと、心理士から受ける質問に答えていくだけなので話しやすかった。
心理士はそこから、知能検査『WAIS-Ⅳ(ウェイス-フォー)』、ADHDの検査『CAARS(カーズ)』を受ける事を勧めてきた。エピソード的にASDよりはADHDの方が当てはまりそうだとのことだった。 検査には精神科の自立支援医療制度が利用でき、結果の説明は自費負担になるとのことで、総額一万程だった。もっとかかると思ったので安心した。かなり待つかと思いきや、面談から半月後には検査が受けられる日程を組んでもらえた。これも幸運だったと思う。
 
検査の当日は、緊張というよりはそわそわ落ち着かない感じがあった。お前テニプリのイベント行くのかよというばりに、推し校カラーの紫で服もネイルもしてフルメイクの武装をしていた。落ち着かないと、服やメイクが濃くなるという一種の防衛反応のようなクセがあるので、髪型だけは何とかは気を抜いて適当にした。
 
検査は2種を連続で行った。1つめはCAARSで、これは成人のADHDスクリーニング検査だ。A4両面に書かれた質問に対し、自分がどれくらい当てはまるかを丸をつけていくものだった。本人評価の他、可能であれば身近な人からも評価をして欲しいと言われ、観察者評価表をもらった。これは、1番長く身近で私を見てきた母へ記入を依頼をした。
2つめはWAIS-Ⅳで、これは成人用の知能検査だった。10種類ほどの様々な項目の多量な問題を解くものだった。パズルや算数、クイズ問題みたいものが次々と出題された。通常でも2時間ほどかかる事があるので、途中休憩を挟んだり、場合によっては中断して良いと言われた。検査はあまり緊張なく進んだが、明らかに苦手な分野の問題が連続すると早く終わってほしいと思うくらいには頭の中が焦った。反面、「見ててわかりましたけど、とても得意な分野があるようですね」と心理士から励まされる事もあった。
日が少し傾き始めた頃から始まり、全てが終わる頃には夕焼けが綺麗だった。
心理士の予約が混み合ってることもあり、結果はほぼ一ヶ月後に伝えられることとなった。
 
8月28日、心理検査の結果を聞くためクリニックの受診をした。
検査結果の所見は、端的に言えば不注意優勢型ADHDの傾向があるとのことだった。ただこれは診断ではなく、あくまでその傾向がある程度に留めてもらっている。最終的な診断は、医師が診断基準に則って下すもので、最初に書いたとおり、私の目的は診断ではなく自分の傾向を知ることであったからだ。
 検査説明の前に、簡単に知能について教授を受けたものの、メモを取りながら説明を聞くというマルチタスクに対応できなかったので、以下はうろ覚え野郎の話し半分で読んで欲しい。
 
知能検査では、総合的なIQと、分野ごとの能力を測っている。それぞれ、言語理解、知覚推理、ワーキングメモリー、処理速度の4つだ。言語理解や知覚推理といのは、どちらかと言えば視覚的(文章だったり図形だったり)な情報入力の得意さ、ワーキングメモリーは聴覚での情報入力の得意さに繋がるらしい。処理速度、というのは文字通り入力した情報を動作へ繋げること得意さのようだ。 この分野ごとの能力値に大きく差がある事(乖離:ディスクレパンシー)が、いわゆる発達の偏りだとか凹凸だとかいわれるものだそうだ。ある分野の能力が高くても、別な分野の能力が低い事で、場面や環境によって能力がうまく発揮できないという事が起きる。
 
私の場合、言語理解が平均より高い反面でワーキングメモリーや処理速度が平均かそれより少し低かった。言語理解だけ高ければコミュ強だったのかもしれないが、ワーキングメモリーや処理速度の低さによって、言葉は分かるのに出力=コミュニケーションが出来なくて、動作としての物理的な処理速度の遅さもある人間だった。
ワーキングメモリーの低さを表す症状として、まさに聴覚からの情報がうまく処理できない、という場面がよくあった。例えば患者からの医師への伝言をうまく伝えるというのがとても苦手だった。また、処理速度の低さとの合わせ技で言うと、口頭だけで伝えられる説明も苦手で、ルーチン作業くらいマニュアル作れよクソが怠慢すんな、と思うくらいには嫌いだった。そして、メモを取りながら聞くと壊滅的な文字のメモが出来上がり、話も中途半端な記憶になった。メモの解読と話を思い出しながら清書するのにかなり時間がかかった。病棟時代は清書が間に合わず、汚いメモ帳を解読しながらギリギリで仕事をした。外来の今は、自宅でメモをパソコンで文字起こしして、メモ帳サイズに文面を納めて印刷したものを作っている。
他人がワンステップで理解できる事をツーステップ踏む必要がある傾向だということ、時間をかける事ができる仕事が向いていること、また耳からの情報を信用しないで視覚化した方が良いとのアドバイスを受けた。さらに、低い能力に注目して無理にそれを高める事を考えない事、と釘を刺された。ただし、薬物治療でワーキングメモリーは改善される事があるとのことだ。
 
ADHDのスクリーニング検査は、不注意、多動性、衝動性といった症状や行動を評価している。ただし、この検査のみでADHDかというのが決まるわけでないようだ。ちいかわ先生曰く、「知能検査で大体わかる」とのことだったので、知能検査で発達の偏りと合わせてADHDかどうか見るのだろう。ここら辺も特に説明があったり調べたわけでわないので、DSMなんかの診断基準を見てみたほうが正確かもしれない。
私の場合、自己と観察者評定共に不注意症状が平均を上回るという結果になった。まあこれは、前述のひどいエピソードからすれば納得の結果だ。
これらの2つの結果を総合して出たのが不注意優勢型ADHDの傾向があるという所見だ。病院看護師には圧倒的に向いていないというのを証明されたようだった。ただ、正直のところ「やっぱりな」としか思わなかった。 たぶん、己の得意不得意を知らないままに、『普通』を目指して自分に合わない場所で社会生活を続け、ミスを重ね、自己嫌悪に陥る。というのが、これまでの生き苦しさの正体だったのだろう。
20代前半で受けてこの結果を見ていたら、確実に看護師なんて選ばなかったと思う。かと言って、何になっていたのかと言われれば分からない。ただ、無知だったからこそ、血反吐を吐く思いをしながらも国家資格という武器は手に入れられたという、ポジティブな見方もできる。ただ、どうせ取るならもっと就職に汎用性の高い保健師も取れたら良かったかもしれないが。
 
先日、精神科薬の過量服用をしたこともあり、予定外でちいかわ先生と面談をした。心理検査結果を伝えると、先生は「やっぱそうやろ!」と嬉しそうに笑っていた。やはりこういう能力傾向はどちらかと言えば研究者に多いタイプで、外来や病棟のように忙しい場所には向いていないというような話をした。ただ、うちの病院には特殊な病棟が一つあり、そこはあまり忙しくなく、時間に追われるようなことがないらしい。ただし、私がもう二度とやりたくないと思っている夜勤は避けられない。「ちょっと考えてみて」とやんわり進路を考えるよう迫られた。
このまま奨学金のためにこの病院を続けるのか否か、続けるとしてどこで続けるのか。己の生活のことだけど、今は頭がぼんやりとしていて何も考えられない。