妄想に殺されかけて

先日、不注意優勢型ADHD(注意欠如多動症)である事が分かったと師長に打ち明けた。合わせて、マルチタスクの苦手さ等、私が能力的に不得手なものも伝えた。しばらくして、師長は、私にデイケアの仕事を勧めた。まずは見学してきて、デイケアは同じ仕事しかないから外来よりいいよ、と言われた。
 
デイケアとはなんぞや、よく聞くデイサービスとの違いはあるのか?と言われると、正直良く分かっていなかった(看護師なのに…)
ただ、調べてみたところ、デイケアは別名通所リハビリテーションと呼ばれるもので、心身の機能維持・回復等を目的としている。恐らく、日常生活の自立へ向けての訓練場というようなイメージだろう。故に、目的を達成できる状態になれば卒業する。
一方、デイサービスは心身の機能維持等を目的としている。リハビリをして、自立に向かわせるというのは目的ではないようだ。そこら辺が大きく違う点の一つかと思われる。1日のうちの一時的な生活の場の提供というイメージだろうか。
他にも配置スタッフの違いもあるが、ここでは割愛させてもらう。
 
弊院のデイケアは、依存症疾患と精神疾患の患者が参加している精神科デイケアだ。元は別々に枠があったらしいのだが、あるときから同じ日に同じ活動を行うようになったそうだ。また一般的にイメージされるようなデイケア・デイサービスと違い、介護を要する利用者はいない。交通機関等を使って自力で通う人が大半の模様だ。
デイケアは医療者(看護師や作業療法士等)を一定数置かないと算定が取れないらしく、今は病欠や退職者もいるので、他病棟からその日限りの応援を呼んで、とりあえず人員を満たしておく、というような状態らしかった。ただそれでも、突発的な休みなどで人員が欠けた状態で運営されていた日もあったとか。監査に引っかかってもおかしくないとの事だ。
また、本来なら看護師が病棟のように何人か利用者を受け持ち、一人一人に目標を立てて、目標に向けた関わりや、面談などを行っていき、目標を達成したらデイケアから卒業していくという感じだったらしいが、人がいないのと忙しすぎて面談も出来ていなかったり、計画も立てられていないような状態の人もいるとかいないとか。
この病院、正直言うと結構でとんでもない事がいっぱいの不思議の国だと思う。
 
そんなデイケア初日は、畑仕事を少し手伝って、それ以外は本当に見学だけをして終わった。シャドウイングですらもなく、ただ私はいるだけだった。
開始前や昼休みなどのは、職員の控室のデスクの椅子に座っていたのだが、隣の席にいた今月で退職をするという病棟看護師が、呪詛のように師長やシフトの愚痴を言い続けていたのが恐ろしかった。後から知ったが、デイケアに長く勤めていたベテランだったそうだ。
また、同じ空間には、その看護師を嫌っているという噂のある、再雇用の裏ボスのような看護師がいた。裏ボスは学生時代に実習でお世話になったこともあり、外来勤務時にはよく気遣ってくれるような声をかけてくれていたが、この控室ではまったくの塩対応だったので怯えた
アウェイな場所で、何もしてないのにも関わらず、精神的にきつかった。
 
この日は、6月からデイケア勤務が固定になっている常勤看護師の先輩がほとんど付きっきりでいてくれた。
とても優しい方で、ここでどういう業務が行われるか、朝から大まかに教えてくれた。師長が詳しく知らないだけで、外来とは違う大変さがあると言うことを。思っていたものと違う業務でミスマッチを起こさないように、という配慮だったのだろう。
だが、まったく始めてきた場所で、しかも緊張状態だったところにいきなりそんな事を聞かされて、冷静に受け止められるメンタルではなかった。私はADHDだけど、もしかしたら変化に弱いという点ではASD(アスペルガー症候群)も多少共存している気がする。正直、不安感が大きくなってしまい、ここも無理だな、と初っ端から思ってしまった。初日からもう駄目だ辞めるしかないと、極端な思考に流され動揺していた。
 
その日は、1ヶ月毎にちいかわ先生こと産業医と勤務時間を検討するための面談日でもあった。だけど、もうこの病院のどこにも働けるところがないかもしれないという気持ちが強くなり、頭が混乱して、素直にそれに近い事を話した。先日のODの件もこの一ヶ月以内の出来事だったため、先生は時間を伸ばす事は勧めなかったし、デイケアにするにしてもゆっくり考えたらええと言われ、その言葉に甘えた。
時短勤務が半年に突入した。甘えた、といいつつ、不甲斐なさも感じた。
 
その日は、たぶんもうずっと正気ではなかったのだと思う。退勤前にデイケアに行った感想を師長に聞かれ、内容はもう忘れたけど、弱音のような、かなりネガティブな事を話した記憶がある。 
 
次の日はいつもの外来処置勤務で、忙しいながらも、慣れた仕事が出来ている事に安心した。目まぐるしさに疲れたけど、安心したおかげで、少し冷静になれた。
その日の夕方、この追い詰められたような不安感は何だのだろうか、少し振り返ることができた。 
 
まずA4用紙に、何が不安で困っているのか、ざっと書き出した。
正直、仕事からプライベートから不安だらけではあった。
ただ、不安を可視化するのはよかった。暗闇で正体不明のものと格闘するより、薄ぼんやりとでも輪郭が見えているものに身構える方が少し気持ちが落ち着いた。
 
困ってるリストを眺めて、そこから、勤務時間が伸ばせなくて不安な事に着目した。勤務時間を伸ばせない事のメリット、デメリットを思うまま書き出していった。
そもそも、カエルなので人間労働はなるべくしたくないのだけど、奨学金の返済免除の事を考えると、条件として常勤の時間で働く必要がある。(やめた途端に全額返済を要する)
だけど、実を言うと時短勤務だからといって給与は基本給そのままに貰っているし、休憩時間などの待遇も常勤として扱われている。
ずるく考えるならば、常勤の待遇だけど時短勤務で働き続けてた方が楽だし、そのままでもいいじゃんとなるだろう。
だけど、そうは思えない事、そこが私の不安の核になる部分だった。
こんな中途半端に働いていることで、周りで働く人に、管理者に、病院に、迷惑をかけているかもしれない。それが怖くて仕方なかった。とても焦っていた。
常勤ならば、非常勤以上に仕事と責任をもたなくてはならないという理想像の反面で、自分はその要件を満たせていない駄目人間という、自己否定的感情もあった。 
 
ここで一歩引いて、事実確認をした。私は、「お前は職場にいると迷惑だ」と、誰かから直接言われた事があるのか?そうした態度を、現在誰かに取られているのか?
想像の翼を暗い方へ広げれば、私の見えないところや気が付かない所にあるのかもしれないし、現に精神疾患持ちの職員なんて管理者的には扱いづらいだろう。
けど、それはあくまで私の妄想だ。幸い、職場にはそうした態度を直接私に見せる看護師はいなかった。勤怠管理をしている庶務課の職員とは直接関わりもしないので、尚更分からない。耳や目で知覚できないものならば、存在しないも同然と考えた。それでもあると言い張るなら、それは幻覚妄想の域だろう。
もう一つは「自分と同じ状態の他人が側にいたら、どう考えるか」だ。
正直、そんな人がそばで働いてたら、無理しないでほしいと思う。自分にそんなに鞭打つ必要ある?って、言いたくなると思う。メンタル壊して、障害も分かって、それでも働いてるのは嫌味なしに凄いなと思う。何にも言ってないの何を焦っているのだろうと、傍から見て不思議に思うだろう。
 
自分の不安をゆっくり紐解くと、原因は自分の思考だったことに気付いた。思考が生んだ妄想に刃物を振り回されて恐怖し、それが悲観的な気持ちを生み出して己を殺しに来ている状態だった。
 
私は仕事に関して、100%迷惑をかけてないとは言えないかもしれない。
けど、誰かが私を迷惑だと言っている事実は存在しない。
「迷惑をかけているかもしれない」という思考は、妄想に過ぎない。それで悲観的な気持ちが沸いて苦しくなるなら、そんな妄想は不要だ。
今の私は完全に健康と言いきれない状態だから、焦らずゆっくり働けばいい。
今は確かに時短で働いているけど、そのうち元の時間に戻せばいい。
 
そう考え直すと、少し不安感が和らいで冷静になれた。
復職前は、テキストを参考にしつつ、コピー用紙に何枚も我流の認知行動療法のようなものをやっていたが、やはり仕事が始まると思考のクセに流されてしまいがちであった。この世には100か0しかなくて、するべき事が出来ない自分は0なので、もう死ぬしかないのだろうと思考が飛躍する。不安でぐちゃぐちゃに絡まった脳みそを、たまに整理整頓してあげる必要があるんだなと実感した。
 
2回目以降のデイケアは、業務に入りながら仕事を教わった。傍観者状態にされているより、電話を取ったり、記録を書いたりと、仕事ができる方が気分的には楽だった。利用者の名前と顔も少しずつ覚えてきた。思えば、外来業務だって何とかなってきてるわけだし、デイケアも何とかなるだろうとちょっとだけ楽観的になれてきた。 
今後は、もしかしたら先にいる先輩のように、外来を完全に外れてデイケア担当状態になる可能性を匂わされている。
けど、デイケアの仕事をするにしても、時短勤務だと中途半端なのだ。デイケア活動中の関わりは出来ても、デイケア終了後の準備や定期的に行われる多職種ミーティングなどへの参加は出来ない。おそらく、受け持ちや計画などということをやれることもない。
活動中の利用者の状態観察や利用者間トラブルの仲裁なんかも仕事ではあるし、活動中だけでもいてくれてありがたいとは先輩に言われた。けど、こんな中途半端な仕事しか出来ないなら、いっそ時間を戻して、デイケアの仕事を徹頭徹尾経験にしておきたいと少し考えるようになった。そうすれば、自分の武器にも出来るし、デイケアとして本来の機能を果たしている方が患者にとっても良いのではないかと思う。まあ、それほどの仕事がいきなり自分に出来るとも思っていないし、そうやってやる気出した途端に潰れるかもしれないが。
ただ、少しでも自分にとってプラスになる事を考えれば、妄想に怯えるヒマもなくなるのではないかと思っている。