かえる死す

復職して4週間目、通勤19日目にして仕事を休んだ。前々日には産業医と面談し、調子がいいので勤務時間を午後まで増やしてもらうという算段をした矢先に、だ。
朝起きてみると、大丈夫?と問いかけられたときに、大丈夫と答えられるけど、今にも泣きそうな状態を感じていた。明らかに休職前の良くないときと同じだった。
きっかけは些細なことだった。寝不足と人の大声。
ここ最近、少しだけ寝つきが悪い日があった。布団に入るものの眠るタイミングを逃して、2~3時に漸く就寝することがあった。起床は6時過ぎ。3~4時間睡眠になっている日があった。
寝つきが悪くなる理由に思い当たるとすれば、恥ずかしい話だけど、ネット依存気味なところだろうと思う。日中に不安定さを感じると、消灯してもTwitterYoutubeをダラダラ見てしまうことがあった。寝付くまでの間、と思うものの、却ってスマホの画面を見つめるので頭が覚醒状態になる。その後1時を過ぎて、いい加減に眠らないと不味いと思いスマホを手放しても、結局寝付くどころか眠気は遥か遠くに旅立ってしまっているのだ。
スマホやPCのブルーライトが睡眠の質を悪くするなどという話もとっくに知っているが、どうにもやめられない。これに限らず、恐らく、自分は面白いこと、楽しいこと、美味しいことなど、快楽的な欲求に手を付けると自制心があまり効かない傾向のようだと思う。病的なレベルかどうかまでは分からないけども。この現状や健康診断に引っかかるレベルのおふとりさまな点は病的ともいえるか。
自業自得の睡眠不足だが、これはメンタルにかなり悪く作用した。ボーっとしてパフォーマンスが落ちるというのもそうだけど、感情的にも脆くなってしまうのだ。理性的に考えて耐えられることや流せることが捌ききれず、些細なことがダイレクトアタックとなってしまう。聖なるバリアミラーフォースは健康でないと発動しないらしい。昨日が丁度そんな状態だった。
昨日の外来は、少し混んでいたように思う。その患者は、医師の記載する書類を必要とするために受診にきていた。患者と会話し、習った手順通りに、そのことをメモした紙をカルテに貼る。リーダー役割の看護師に内容を伝えターンエンド。その看護師から私のメモを貼ったカルテが医師へと渡った。
看護師の処置室と診察室は壁を隔ててつながっている作りになっている。処置室で先輩看護師と他の作業をしていると、「この書類の名前じゃわからないんだけど」とカルテを片手に医師が大声で処置室に来た。イライラした表情だった。私のメモが貼ってあるカルテだった。
大声の瞬間にメモを見つけたので、恐怖と申し訳なさで竦むような感覚と緊張を感じた。寝不足でまともに防御機構が働かないメンタルには効果抜群だった。しどろもどろに説明しようとしたが、埒が明かないので結局患者本人から該当の書類を預かった。そこから先は、リーダー役の看護師へと対応を引き継いだ。結局、発行可能かどうか医師もわからず、看護師から多職種へ確認連絡が回されていた。
たったそれだけの出来事が、仕事の後も引っかかていた。男性女性、健康不健康に限らず、いらいらした気持ちの込められた大声がどうやら苦手なようだ。半日勤務を終えて、好きなものを食べたり、近所の公園に散歩してみたり、昼寝をしてみたが、恐怖感の濃度が変わるだけで、恐怖感はあり続けた。精神的に落ちているという感覚もあって、誤魔化しは聞く程度であるが、少しの情動的な衝撃で涙が出そうな状態であった。夕方、とても久しぶりに頓服の抗不安剤に頼った。浮上することはなかったけど、落ち続けることもなくなった。
その日の夜はさすがに夜更かしはせずに眠れた。が、朝起きて鏡を見るとしっかりと目の下に隈が出来ていた。脳裏に大声の場面が浮かんでいた。不快を引き摺って反芻する状態になりかけている。泣きそうだった。
こんな事で休むのかとギリギリまで迷ったが、結局師長に連絡した。不調を責められることはなかったものの、どうして不調を起こしたかを聞き取られ、寝不足と昨日の出来事を話した。責められているわけではないが、自業自得な部分もあるので、話していて苦痛に感じた。休む理由がまるで子供みたいだとやるせなかった。

昨日の状況は一体何だったのだろう。昨日はあまり纏まりのある思考ができなかったので、今日少し振り返ってみことにした。
その医師は精神科外来を担当し、しかも役職クラスということもあり、恐らくかなり忙しいのだろうと思う。患者との診察場面はまだじっくり見たことないが、いつもピリピリした雰囲気がある医師だった。呼んだ患者が来ないから探せと言われ、見つけたことを報告しようとすると他患者の診察が始まっており、部屋に入りざまに睨まれたことや、自分の次の診察予約と合わせて検査予約を入れろと予約票もなく依頼されたときに、予約時間を知りたかった検査担当に代わって時間を聞くと「知らない!……ああ、〇時」とイラついた声で返されたことがある。接した時間がまだ少なく、あまり情報のない中で私の判断をしてしまうが、不快感や思い通りにいかない憤りを職場で表に出すことをよしとしている人なのかもしれない。そう認識して、対応した方が良いのだろう。精神科の医師なのに、役職付きなのに、というのはこの際関係ない。この人もまた、技能と人格とポジションは別物だという教えてくれる存在かもしれない。だからと言って、あまり声を張り上げてほしくはないのが本音だけど。
他方、書類の件は、始めから預かっていればもう少しスムーズだったのかもしれない。自分もよくわからない書類だったのだから。ただ、預からなかった理由があるとすれば、お薬手帳などがそうだが、不用意に患者のものを預かることで、診察後に返却したのしないのといったトラブルがあるため、直接医師に見せるよう説明した方がいいと先輩看護師より指導を受けていた。ともすればマニュアル不足の丸投げを良い様に言い換えたとしか思えず、指導的内容の文脈に使われると激しい嫌悪感に襲われる言葉No1ではあるものの、これが臨機応変というものが問われる場面だったのだろうと思う。
また、書類だけ必要という患者の話をそのままに、必要になった経緯を聞き取っていれば違っていたのかとも考えるが、それは医師が診察で聞き取っても変わらないのでは……まあ情報収集というのは、病棟だけでなく外来でも必要になる能力なのか、と少し勉強になった。

誰が悪いとか考えると私の具合が悪くなるのでそこは考えない。振り返って具合が悪くなるのでは意味がないのだ。これを読んで、お前さあ…となった人も心の中にしまって欲しい。

悪いとすれば寝不足だ。寝不足は恐ろしい。ダメージが常に会心の一撃になるデバフだ。十分なパフォーマンスが発揮できずミスすることでの自己肯定感の低下、コミュニケーションの事故による疲労等々、些細なストレスが不必要に暴力的になって襲ってくる。メンタルのダメージを引き摺って、愚痴や自責で不快感を反芻し始め、ネットやゲーム、過食、飲酒等々、眠れなかったり睡眠の質が悪くなるような行為に走ると睡眠不足状態になる。寝不足は恐ろしい。無限ループって怖くね?の世界に突入する。しかも、負ったダメージはちょっとやそっとで取り除けない。深く広い傷口ほど治りが遅いのは、肉体だけでなく精神も同じだろう。特に看護学生や病棟勤務時はこの闇のループにいたように思う。体の衰弱も心の衰弱も行き着く先は死。適切な睡眠は命に等しい。とにかく寝ろ、しかして希望せよ。明日は多分働ける。