横たわる罪悪感

スマホのアラームで6時に起きた。この時間から布団を出れば、通勤まで余裕を持って支度できる。起きようと思ったが、布団から出られず、二度寝した。次に起きたのは8時だった。始業30分前だ。
今は適応障害の診断の元、休職している。だから、焦る事はなかった。職場に行かなくていいから。ただ、あーやっちゃったなあ、程度の後悔はした。
来月頭からは復職する予定で、昨日はそのときの働き方についても産業医と話をしたばかりだった。主治医とは、通勤訓練を続けていくという話をしていた。生活リズムを、出勤していたときのように戻さなくては。頭では分かっていたし、頑張ってはいた。
実際、そのように起きて活動できている日もあった。だけど、それを頑張ることに集中することに疲れてしまうときがある。そうすると、またたく間に動けなくなるのだ。ごく普通の働いてる人にとっては当たり前の習慣のようにやってること、私だって、前はやれていた事を、頑張らないと出来ない。働くために、頑張らないといけないのに、頑張ることが辛い。頑張る事が辛いと感じる頑張れない自分が駄目だと思いつつ、結局のところは、今は休みという事実に甘えた。

その後は、朝食を作り、食べて、何かをしようと思った。
職場の制服がギリギリでまずいなと思い、1月にはフィットボクシング2を買っていた。毎日、短い時間でも頑張ろうと思ってた。
昔は絵を描くのが好きで、また描きたいなと思っていた。ゆくゆくは、少額でも副業にできないかなという目論見があった。
本を読み、新しく知る事が楽しい事だと、この休み中に気付いた。手当り次第気になる事の本を読んで、生きるための知恵にしたいと思っていた。
将来についても、現実的なことを、ゆっくり考える事がしたいと思っていた。私は、いわゆる子ども部屋おばさんに分類のされる。最近、やっと自立を具体的に考えるようになった。
したい事はもっと、いっぱいあった。この休職という名の冬眠期間で、私を振り返り、今度はしたい事をできる自分になろうと、決意を固めていた。
けど、気付くと、床に転がっていた。スマホで動画やSNSを見ながら、私はぼんやりと過ごしていた。窓から青空が見えて、窓をすこし開けた隙間から外の冷たい空気が入ってきて、散歩もいいなと思った。しかし、私は床から動けなくて、スマホからも手を離せなかった。流しに置いて水につけただけの朝食の食器を洗っていないことも頭に浮かんだけど、すぐに消えてしまった。
そのまま気付くと昼になっていた。母と食事を済ませ、食器を下げたまではよかった。午後からこそは、何かをしようと思った。
が、私はそこでベッドの中に入ってしまった。少し休んで、それから動こうなどと思っていた。手にはスマホを持っていた。流しの食器の存在は、私のなかでまた消えていた。
ここ最近、スマホの使用時間の長さに驚いて(平均8から10時間)、アプリ毎に使用制限時間を設けている。インターネットへの逃避は、私が本当にやりたい事ではなかったからだ。実際、ネットに接続せず、日常を過ごしている日の方が、充実して穏やかな事を体験し、知っている。だが、私は、自分で決めた制限も守れず、ロックを解除し、使っていた。ベッドにゴロゴロと横たわって、また動画やSNSを見始めていた。インターネットには終わりがなかった。気付くと布団にくるまって眠っていた。
次に目を覚したのは夕方近くだったと思う。何かしようとして、何もできなくて、日が暮れて、暗くなっていく。それは、休職前の休みの日の過ごし方と似ていて、苦しくなった。

したい事をして何になるのだろうか。完璧に、上手く、誰かにすごいと思われるくらい、できるだろうか。そもそも、この行為に意味はあるのか。私を振り返り、私の中に完璧主義と虚栄心を見つけたとき、これが私の首を絞めて、行動を堰き止めているものの1つだと気づいていた。行動する事に恐怖感を抱かせるものが、私の中にはいくつかいる。それを早く手放すことが、私の回復だと思っていた。けど、それを出来ずにいた事を突き付けられたような一日だった。
そんな自分に変革を与えたくて、前からやってみようと思ったブログを書くことにした。続くかは分からない。元々Twitterはやっている。気が触れたとき120文字を連投しているが、それだけで間に合わないような、残尿感のようなものを、うっすら感じていることがあった。
復職まであと3日。休もうと思えば休職を延長する事は出来た。ただ、職場から返答を迫られ、私の諸事情と職場の制度的はものから、もう復職するしかないなと思った。確かに、働いてもいいかなって、思える日もあったから、私は行けると思って、そのように主治医と話してきた。
だけど、たぶん、確信はないが、このままの私が復職したところで、適応障害はまた爆発するのだろう。そうであれば、私は今、とても重大な嘘をついているような気がしてならない。